ジャルジャルから見る、お笑いは「作品」であるということ
私は、お笑い芸人を尊敬しています。
ただの他人を笑わせる人ではないし、ただの「面白い人」では済まされないものを創り出していると思っています。
お笑い芸人のネタや番組を笑うためだけのコンテンツではなく、「作品」として捉えると、その凄さを感じることができるのではないでしょうか。
お笑いにおける漫才やコントなどのネタについて、芸人が創り出しているものを考えます。
ネタは台本ありき、ときどきアドリブ
ネタはあらかじめ設定された言葉、動き、見た目があり、その台本を積み重ねていくことで「作品」になります。
台本があるということはお芝居の範疇なので、映画や舞台などと同じ「作品」です。
もちろん映画や舞台などの作品は、感動、衝撃、恐怖などの様々な感情が入り乱れて面白い作品が生まれるます。
お笑いのネタは「笑える」ものが評価の高い作品であり、他の感情は必要ありません。(野性爆弾 くっきー! が「恐怖と笑いは表裏一体」とも言ってますが。笑)
お笑いの作品にはアドリブが多いです。台本を決める中で、この部分はアドリブで行うというようなネタもあります。
他には、言わばジャズのようなその時の感情で発した言葉や動きが面白さにつながって、台本を超えた一つの「作品」になることもあります。
ツッコミのタイミングで変わる笑いの量
「M-1グランプリ2018」決勝で有名なネタ、ジャルジャルの「国名わけっこ」。
このネタを披露したジャルジャルは高得点を記録しました。このネタに対して二人はM-1後の打ち上げ配信でこんなことを言っています。
千鳥・ノブ「何個目かのゼンチン(ボケ)でつっこもうじゃないんだ。」
後藤「僕はその場の笑いで決めてつっこんでるんですよ。」
福徳「僕が何の国名言うかも決めてない。だから後藤は対応力凄いですよ。」
後藤「あのゲームめっちゃうまいですよ僕。笑」
もちろんこれは極めて稀な例であり、高評価のネタを長年作って披露してきたジャルジャルだからこそできる芸当なのかもしれないですね。
一つのネタを手塩にかける
ジャルジャルは決勝に進出し、2本目のネタを披露しました。
しかし、新ネタはこの「国名分けっこ」のみで、2本目に披露したネタは去年作ったネタでした。
2本目に披露する予定であった新ネタは作っていたが、うまくまとまらず作るのを諦めたと言うます。
福徳「違うネタを2本目に披露する予定やったんですよ。このネタを手塩にかけて、20ステージ練って練って、5回くらい表情変えたもんな。」
後藤「変えた変えた。変えて変えて、(M-1 の)2日前に捨てました。仕上がらんかったんですよ。」
お笑いの作品が映画や舞台などの作品と大きく違うのは、「客の反応を見て変えれる」ところだと思います。
これが、一つの作品を手塩にかけて育てるということで、アドリブにはない、緻密に計算された笑いがあります。
様々な形の「作品」
テレビで放送されるM-1グランプリは一つのネタに対して4分という時間制限が設けられており、漫才やコントはこのような時間で放送されることが多いです。
しかし、芸人の単独ライブなどでは30分の漫才をすることもあるし、一発ギャグは5秒で終わります。
さらには「人志松本のすべらない話」などのエピソードトークも緻密に計算された「作品」として扱えます。
お笑いには様々な形の作品があります。
漫才が得意な芸人は漫才という形の作品が得意分野であり、コントが得意な芸人はコントという形の作品が得意分野であると思います。
ネタ番組を見るときに、「このネタはどうやって作ったんだろう?」と疑問から入ると、また違った面白さが見えるかもしれないですね。